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協賛企画

シスコシステムズ合同会社特別対談

Special Session with Cisco Systems

登壇者情報

デジタルが社会をどう変えるのか?

~デジタル行政の視点から見るDXの課題と挑戦~

デジタルトランスフォーメーション、DXという言葉は、元々は2004年にスウェーデンの研究者が、論文の中で初めて書いたと言われています。特にこの2年は、新型コロナウイルス感染拡大がきっかけとなりまして、ビジネスはもとより我々の身の回りの生活、行政、それから教育、医療、準公共分野と言われるような分野においても、DXが非常に大きなトピックとなっています。
本日はそのようなビジネス、医療、教育といった面からディスカッションを行うべく、皆様にお集まりいただきました。

コロナ禍に見る社会の変化

大越(慶應)

新型コロナウイルスの感染拡大はもうほぼ2年になろうかとしていまして、この我々の生活もいやがおうにも、いろいろな大きな変化を経験しています。ステイホームから、リモートワーク、リモートスクール、リモート授業、それからコンタクトトレーシングであるとか、それから最近ではワクチンパスポートもそうです。この大きな変化にはデジタル技術も関係しています。皆様それぞれご専門がある中で、このデジタル技術も含めてどんな印象深い変化が皆様の周りにあったか、ご紹介いただけますでしょうか?

鈴木(シスコ)

まず企業サイドとして、オフィスから人がいなくなったというのが非常にわかりやすい表現なのかなと思います。政府の強力な要請を受けまして、いわゆるステイホーム、テレワークが一気に浸透したということと思います。一般企業のテレワークが一気に進みました。その中で非常に興味深いのは、なんでもかんでもテレワークってわけにはいかない。Web会議でできる仕事、Web会議には向かない仕事が本質的にあぶり出されてきたというところは、非常に大きな成果なのかなとは思っています。色々な学びが、今回の2年間の新型コロナを通じてわかってきたというところかなと思います。

矢作(慶應)

医療の現場からしますと、まずは、今もお話が出ましたけれども、学会ですとか病院間のドクター同士の相談といったようなものが、オンラインのシステムが非常に有効に使えるということがよくわかったということが一つです。患者さんの間ではもう一点では、オンライン診療を活用しやすい場面と、直接見ないとわからないなというような場面も、大きく気づきになったんじゃないかなと思います。

一方で、今回のパンデミックの中で、圧倒的な情報のやりとりが、誰もが情報を共有することによって、我々の想定以上の混乱ですとか不安というものが、これだけ大きく社会に影響を及ぼすんだということも非常に実感として持ったというところです。

最後に全体の仕組みということを考えると、日本の医療の社会システムとしては非常によくできてるんだけれども、脆弱性もそこここに露呈するようなことになったという意味では非常に大きな気づきと、今までそれを日本人という、非常にバランス感覚が優れた人たちに支えられていたということを、改めて、まさにDXということでシフトしていかないといけないということを思い知らされたんじゃないかなと思います。

中室(慶應)

教育の分野においても大きな変化があったと思います。一つはオンライン教育の普及です。コロナの前からGIGAスクール構想といって、日本の公教育の中で遅れているIT化を進めようということで予算措置がとられていたわけですけれども、それが大きく前倒しされて、小中学校の生徒たちには1人1台のパソコンが国費で提供されている状況になっています。これを利活用して、オンライン教育がようやく普及し始めた、端緒がやってきた、ということなのではないかなと思います。

もう一つは規制の問題だと思います。例えば大学ですと遠隔授業の単位の上限は60単位までと決められていたわけですけれども、これを一時的に緩和するということが行われて、ある種壮大な社会実験が行われた状況なのではないかなと思うんですね。その中で私達が気づいたことは、対面でやらなければいけないことが何なのかということを見極めようとする動きが起こったということは、事実としてあると思うんですけれども、同時にオンラインでもかなりのことができるということを、私達が肌感覚で知るようになったということは、非常に大きかったのではないかなと私自身は総括をしています。

大越

私もおりますSFCでの変化について少しご紹介しておきますと、大学の1年生が約900人おりますが、必修となっている体育の授業もオンラインでWebexを使って行う必要性が出てきました。体育ですので、Webexで繋いでミーティングだけで終わらせるわけにもいかないということで、我々お手製のSFC-GOというアプリを1ヶ月で作りました。去年の春学期は900人の1年生にアプリ越しに体育をやってもらった、家の中で動ける範囲で動いてもらった、そんなエピソードもございました。

変化の奥にある課題

大越

表面に出てくる観察しやすい変化の中には、もしくはその奥には、より構造的な何か、本質的な何か課題と言えるようなものがあるかと思いますがいかがでしょうか?

中室

オンライン教育が普及したことによって、日本の教育が抱えていた問題があぶり出されたという面はありました。1人の先生が行っている授業を、全員が前を向いて聞くのが日本の伝統的な教育の方法で、「チョークアンドトーク」と言われたりしますけれども、先生の教育の技術に頼ってきました。しかし、集団生活の中でうまくいく子もいればうまくいかない子もいます。このコロナ禍で不登校の生徒は急増していて全国でおよそ20万人に上ると言われています。そのような集団生活の中で授業に馴染めない子供たちに、オルタナティブな教育をほとんど提供できていなかったというのが現実です。

ところがこのコロナ禍で、不登校の子供たちがオンラインの教育に適応して学びを継続できているという事例があちこちで報告されています。多様な発達段階や多様な学び方を、オンラインを使うことによって許容できるようにするということが、次の教育における大きな課題になってくると思っています。オンライン教育によって開かれた窓はすごく大きくて、その課題のあぶり出しと、その道筋がついたというところはすごく大きかったと振り返っています。

矢作

実際に臨床の現場に立ってる身としても、今回のは非常に大きなきっかけだったと思います。オンライン診療もそうですし、色々な診療をアシストするようなツールですとか、全部そうなんです。けれども、使ってみて、ここまでいけるんだということを、今回のコロナ禍に限っては半強制的に皆がそういう環境に置かれたということから、切実な問題の中で気づきを得たという部分が非常に大きかったと思うんですね。

そういう意味では政府も含めて、あるいは我々の立場では、どちらもできるというスタンスでこれからは進めていかないといけないと考えてます。今後はおそらく提供する側も使う側も、共に成長して成熟していく社会にしていかないといけないと思うんですね。使えないから悪い、使えるからいい、という二者択一の問題ではなくて、使えないなら使えないでどうすればいいんだ、使えるなら使えるで何が問題になってくるのかということを常に考え続けるという関係性がこれからすごく重要です。医療というのはこれまで提供者側が設計上強く出ていた部分があったんですけど、改めてこういった視点で考えたときに、患者という視点に立って、何が一番いいのかということを問い続けて、常にそれに対して提供し続けるということを考えていくことが重要だと思います。

鈴木

お二方がおっしゃったように半強制的にオンラインで全てをやらなきゃいけないという環境に置かれて、その中で物事の本質があぶり出されてきたというのは、確かにビジネスの世界でもあると思います。色々な面で日本のデジタル化は少し進捗したのかなと思ってるんですが、ただ世界的に見たときには、GDP3位の経済大国でありながらいまだに20何位とか30位とかそんな状況です。それをより一層ドライブしていくために今回、行政サイドのデジタル庁の創設といういうことで、そのデジタル庁の創設にはSFCが非常に大きな役割を果たすことになりそうだと、これからなるんだと思っています。

デジタル庁で目指す教育と医療の変革

鈴木

そこで中室先生、矢作先生に、デジタル庁の中でどんなことを変えようと思っているのか、そして弊社シスコに期待いただけるところがあれば、お伺いできればと思います。

矢作

医療は社会システムであるという視点で見ますと、場合によっては子供というキーワードを介して教育の分野にも入り込まなければならないところもありましょう。様々な行政の手続きを考えても、医療の情報と繋がることによって、つらい患者さんがわざわざその手続きをしなければならないということをどうやったらゼロにできるかと、いうことも考えていけると思うんです。声なき声を拾い上げる新しいインフラを作り上げていく、という視点に立って進めていかないといけないんではないかなと思います。

オンライン診療ですとか、PHRの普及推進ですとか、そういったキーワードも出てきています。その根底にある部分はロジスティクスだと思うんですね。物流ではない、情報の流通ということで考えたときに、常に患者さんに寄り添った、優しい仕組み作りを考えていかないといけない。そこで得られたデータが正しく、そして正確に、分析されて利活用されていくという、循環型のモデルを作らないといけないと思います。

この点において、どうこれをビジネス化していって加速していくんだということを、国も民間も一丸となって考えていかないといけないと思うんですね。医療というインフラがよくできすぎて、耐えてきてしまった部分を、一歩一歩丁寧にシフトしていくという体制作りは、一丸となってやっていかないといけないんじゃないかなと思います。

中室

一つは教育機関のデジタイゼーションです。業務が非常に昭和的だというのが教育機関の特徴だと思っておりまして、例えば生徒の出欠も未だに紙と鉛筆で取っているとか、宿題の採点を先生が紙で丸付けしてるとか、本学も出張の会計書類はいまだにエクセルに記入して印鑑押してレターパックで送るというような状態になっていて、こういうところからは早急に脱却をして、我々教育に関わる者が教育の本来やるべき業務に集中できる環境を整えないといけないと思っています。これをまずやって、教育関係者にデジタル化の恩恵を十分に受けてもらって、デジタル化にご理解をいただくということを、第1段階としてどうしてもやりたいと思っています。

二つ目は、ライフロングの人々の行動や履歴を繋げていくということをやりたいと思っています。長い目で見たときに効果が出る医療政策とか教育政策には長い目で見たときのデータが必要になります。ライフロングで見た人々の教育や医療のデータを繋げれば、エビデンスに基づく政策形成や人々の教育投資が効果的になると考えられます。

三つ目は、声なき声を拾い上げていくということです。困難な人たちが申請書を書いて救済を受けるというやり方ではなく、困難な人たちの状況をリアルタイムで見極めて、政府の方から支援していく状況にしないといけないと思います。リアルタイムでスピード感のある施策で、困難な人たち、困難な子供たちを救済していく、プッシュ型の支援を実現できるようなデータ構築をやっていきたいと思っております。

シスコ様への期待ですけれども、オンライン教育が普及して以降、私が急速に感じるようになったのは、教育は公教育だけではないということです。公教育はパブリックのものだけであるという考え方は時代に付いて来られなくなってきています。民間事業者の競争力や新しい事業や発想などを利用して、公教育の中でも民間の力を活用していかなければいけないと思いますので、そういったところでお力添えをいただきたいですし、新たに協力体制を築いていけるところがあればなと思っております。

鈴木

医療にしても教育にしても行政全てにおいて、なんでもかんでもデジタル化すればいいという論調は本質的でないと思ってます。1年ぐらい前に、行政の手続きで判子が16個もあって効率が悪い、これを一気にデジタル化すれば早くなる、いうようなことが盛んにメディア等で報道されたことがありましたが、問題の本質はハンコ16個をデジタル化することではなくて、何故ハンコが16個必要なんですかというところだと思うんです。

ですから、お二方おっしゃったようにデジタル化を一つのトリガーにして、物事の本質をあぶり出してほしいというのが、個人的には大きな期待です。ですからデジタル化の前にやるべきことあり、単純に今あることを右から左にデジタル化しても何も良くならないと思うんですね。私はそこを本当に期待したいと思っています。

中室

今の教育機関の問題の裏側にあるのは過剰な形式主義で、それを廃止することなしにハンコを廃止したとしても、今度はハンコの代わりに署名という話になるだけ。過剰な形式主義にとらわれて手続きを非常に重んじるのに、結果を見ない結果を評価しないという体質は、日本社会が全体として改めなければいけないと一つ思っています。

もう一つは、私はデジタル化やオンライン教育はツールに過ぎないと思ってるんですね。色々な学校、色々な先生に見せていただく好事例に共通していることは、優れた先生がおられるということなんです。優れた先生が優れた活用をして、優れた授業になり優れた実践になっていくので、デジタイゼーションの恩恵を受ける、あるいはオンライン教育をフル活用していくというときには、優れた教員が必要と思います。

私は教育の変化は、教員によってしか起こせないという考えを持っていて、デジタル化はツールの一つだと思うんです。なのでデジタル化と同時に規制緩和も同時にやっていかなければならなくて、いま情報の教員がほとんど非常勤という自治体さんもたくさんあって、そういう状態ではうまく利活用できないのではないかと思います。教員免許を持っている人だけでなく、技術を持っている方や、資格を持っている方であれば、情報の授業を教えられるように変えていかないといけないと思っています。

鈴木

非常に優れた、教え方が上手い先生が非常に面白いコンテンツを使って、オンラインで教育ができれば、色々な生徒がその授業を受けられます。非常に専門性が高く優れた先生の教育をどこからでも受けられるという時代に技術的にはもうなっているわけです。そうすると、現場の先生がするべきことは、役割が少しずつ変わっていくと思っていて、昔で言うと学級会と道徳の時間、今で言うとSNSの使い方とかを担任の先生は教えて、専門分野は、非常に専門性の高い優れた先生の授業を受ける形に変わっていくのがいいんじゃないかと思います。そういった方向性は今後あり得るんでしょうか?

中室

十分あり得ると思っています。菅政権下の教育再生実行会議という有識者会議で高等教育ワーキングの委員を拝命していました。そのときにある委員の方が、日本の大学はいずれAmazonのようになるとおっしゃったんです。オンライン授業が浸透してくると、優れた先生の授業をみんなオンデマンドで見るようになっていくので、Amazonで物を買うように、ポチっとオンライン授業を買うようになっていくでしょう。そうすると、現場で教育をする人たちに残されるものは、少人数のゼミみたいな講義とか、実験とか実習とかそういうものになっていく。なので、例えば慶應義塾が在籍者数を増やそうと思うと、対面授業の質を高めていかないといけない。そうじゃない授業に関しては、単位従量制という形で1授業いくらという形で、全ての大学から買えるような形になっていくだろう、とおっしゃいまして、私はそれは一つあり得るべき未来の姿と想像しています。

鈴木

矢作先生にお伺いしたいのはオンライン診療の話で、過去10年ぐらい、みんなが進めばいいねと思っているにも関わらず、何で行ったり来たりで進まないのか、課題がどこにあると思われているのか、ということと、それをブレイクスルーするためにどんなことをされたいのかという辺りを、お聞きできればと思います。

矢作

かかりつけ医が電話で相談にのったり、テレビ電話を使って声掛けをしたりということは日常的にやっているんです。それが実際に診療となった途端、要求されるクオリティですとか、責任の所在ですとか、何よりも点数と支払いの部分が大きなポイントになってしまったと思います。全体的なDXが進むことによって、患者を救いたいということにみんなが専念できる環境が整ってくると思うんです。このときに一番重要な部分は、適切なタイミングでそういった方々を守っていけるかどうかということと思います。

オンライン診療が非常に便利で、活用できるシーンも今回見えてきた部分です。一方で改めて感じたのは、患者さんがいらっしゃるんですね。実際に会いに来たい、会って安心したいという、オンラインで解決できないまさに人の心の部分を考えますと、改めて医療は病気だけを診るのではなくて、人の心を見ていることを実感しました。

現状の課題として、オンライン診療がシステムなりアプリケーションに拠っちゃうのはいかがなものかと思ってます。フリーアクセスで、身ひとつで医療施設、医療機関にかかれば、いつでも見てもらえるという素晴らしい仕組みなのにもかかわらず、オンライン診療のシステムを入れていないと駄目だというのはおかしいのです。基本的には119と同じで、例えばオンラインのOを見立てて0119と押すと、画面上に共通のアプリケーションが立ち上がって、みんな同じフォーマットでオンライン診療ができるというような、少なくとも国民皆保険上は、そういった仕組みは非常に重要と考えています。

鈴木

もう一つ質問があるんですが、病気になる前に対応するということも、デジタル庁の中では検討の範囲になるかどうかということは興味があります。今センシングの技術も進んでますので、家の中にいて、脈拍数とか心拍数とか、あるいはカメラで血流の量とか、色々な体の情報を取ることができます。そういった情報をもとに病気の予兆を発見して、病院に来る前に、適切な処置をすることも、技術的にはできるレベルになってきていると思いますが、そういった検討もデジタル庁の中でされるんでしょうか?

矢作

元来やるべきことはそこだと思ってます。例えば虐待だとかお子さんの部分に関する部分は結構、医療従事者の方が早く見つけてることはいっぱいあるんですね。日常の、ただ風邪でかかったりとか、あるいは普通の検診の中で我々も捉えていることを、学校でその情報を共有できるだけでも、カバーできることがいっぱいあるんです。

ウェアラブルで色々な動きから様々なものを検知する時代になっているときに、患者さんから問診で日常生活の異変やちょっとした変化を捉えているようなことを、様々なデータと繋げていくことによって、早い段階でサポートしていくということが重要だと思っています。そういう意味で、情報の流れを患者中心に捉えていくと、日々の変化ですとか、時間という概念は非常にデータとしては取るのが簡単そうで難しいということを踏まえたシステム設計を含めて今後考えていかないといけないと思ってます。

鈴木

制度面の問題ですとか構造的な問題ですとか、あるいは現場にいらっしゃるお医者様看護師さん学校の先生の意識改革の問題とか色々な問題があると認識しました。私共の会社はテクノロジーの部分では色々なご協力ができると思いますので、もし何かお役に立てるようなことがあればぜひおっしゃっていただければと思います。

若い世代へのメッセージ

大越

最後に皆様から、次の世代を担う若い社会人の方、それから学生さんへ何か熱いメッセージをお願いします。

鈴木

若い皆さんにぜひお願いしたいのは、物事の本質を見極めてほしいということに尽きると思います。デジタルは、道具です。DXで何を目指してるんですかという質問をしたときに、実はちゃんと答えられる企業の経営者は意外と少ない。本当にデジタル化で何をしたいのか、そういう本質を見極めることをぜひお願いしたいなと思います。何でもかんでもデジタル化という話じゃなくて、アナログにはアナログの価値があると思うんですね。何が本質なのかということを見極める目をぜひ養って欲しいなと思います。

それを養うためには色々なチャレンジをするということだと思うんです。黙って先生の話を聞いて、ああそうなのかなと思うのではなく、思ったらとにかくやってみると、やってみたところから物事の本質が見えてくると思っています。それを若い皆さんには期待したいと思います。

中室

最近読んだ本に、Malcolm Gladwellの「Blink」があります。その中に非常に印象に残った一節がありまして、ロックフェラーとかカーネギーなど、歴史上の億万長者たちの実に20%ぐらいは、19世紀半ばのわずか10年間の間に生まれたという話なんです。アメリカ経済が特別な転換点を迎える絶好のときに生まれたということが実は非常に重要だと書いていて、そう考えると、今の私達が生きているこの時代は、産業革命のような経済の後押しがあるという状況ではないけれども、確実に転換点だとは思うんです。

この確実な転換点の中でDXを考えると、知識とか経験よりはむしろ、ある種特定の技術が非常に重用されるというときでもあると思うので、私は若い人たちにはこの絶好の転換点でガンガンバットを振ってもらいたいと思っています。

日本は年功序列で、私も大学教員とか銀行員とか堅い職業ばかりやってきたので、年上の人の顔色を伺うということが習慣になってしまっているところがあるんですけれども、次のジェネレーションの人たちにはそれはやめてもらって、バンバン前に出て、バンバンバット振ってもらいたいと思っています。そういうことができるのがDXの時代だと思っていますので若い人たちをどんどん応援していきたいと思いますし、私も一緒に何か若い人たちとできることがあれば、どんどんやっていきたいと思っています。

矢作

これからの時代、3秒先が実現できる時代になってくる。今の学生には入力しなくても自分の次にやりたいことぐらいはわかる、というようなシステムの技術開発をしてもらいたいと思います。これは1人の行動をずっと見ていればその人の思考が全て見えてくるわけで、中が見えてくれば、当然技術にそれを応用することは難しい時代ではないと。

ところがいまだにそこに行けていないのはなぜなのか、というところで、日常的に感じられる違和感に対して直感を大事にしてもらいたいと思います。その中で本質的に何なんだろうかということに、ひたすら追求する、あるいは自分と向き合うという勇気を持ってもらいたいと思います。その中にきっと人間が人間であり続ける限りは、人間は何なんだろうという、この不可思議で、でもとても面白くて、豊かで素晴らしいこの世界は、改めてDXというツールを使って、みんなでどんどん発展させたらと思います。

大越

デジタル化によって我々には選択肢がある。そして、その選択肢は実は広くて、まさにその認知も広がったということかと思います。教育医療を含む広範な分野が試されたといいますか、課題があぶり出された、ということを言えるかと思います。制度それから形式いろいろな課題があるわけですけれども、本来やりたい教育であるとか、本来やりたい医療、そしてそれを受ける方が本来得られるメリットをどう実現していくか、改めて評価していこうということと思います。プッシュ型ということも出てきました。声なき声を拾って、多くの方にメリットを得てもらうことが重要と思います。そして、その上でみんなこの貴重なチャンスの時代ですんで、直感を信じて、バットをどんどん振っていこうということかなと思います。

このセッションを通じてより多くの皆様のご自身の問題発見と問題解決へのインスピレーションとすることができたら早いかと思います。皆様ありがとうございました。

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