シスコシステムズ合同会社 ORF事前対談

INTERVIEW

デジタイゼーションの未来は、何をもたらすのか?

~情報のデジタル化とビジネス価値への転換~
  • シスコシステムズ合同会社 代表執行役員社長

    鈴木みゆき

  • 慶應義塾大学環境情報学部 学部長・教授

    村井純

  • 司会:ORF2016実行委員長

    中澤仁(環境情報学部 准教授)

デジタル変革とIoTがもたらす産業革命

中澤
最初に、この対談の企画意図をお話しします。
これからの世界は、人間も、生活に関わるものも、すべてがネットワークでつながる時代へと向かっています。単につながるだけではなく、これまで扱えていなかったさまざまなモノ・コトをデジタル情報に変換することができるようになるでしょう。多様な表現・伝達を可能にすることで、新たなビジネスモデルを生み出すとともに、従来とまったく異なる生活の仕方、想像を超える社会生活の仕方を経験することになるかもしれません。
こうした新たな時代の到来に向けて、私たちは、どのように準備し、いかなる戦略を持つべきなのか。お二人の対話から、そのヒントを提示できればと思います。では、まず村井さんから、インターネット黎明期を振り返りつつ、口火を切っていただけますか。
村井
私たちが最初に「JUNET」というコンピュータネットワークを作ったのが1984年でした。その時に思ったのは、「将来、何台のパソコンがネットワークにつながることになるんだろう」ということ、そして、「世界中のコンピュータがネットワークにつながったら、世の中はどんなふうに変わっていくだろう?」ということでした。その後アメリカで研究しているとき、多くのコンピュータエンジニアやネットワークエンジニアたちにこんな話をしても、誰も乗ってきてくれなかった。みんな目の前の製品の性能を上げるために必死だったんですね。そんな中で、シスコのエンジニアだけは「実は僕も同じことを考えていたんだ」と言って開発中の機器を見せてくれたりする連中が多かった。私と同様、ネットワーク社会の未来を夢想してワクワクするタイプの人間が多かったように思います。今日、鈴木さんとお会いして、そんなことを思い出しました。
鈴木
この10年余りの間に、シスコはルーターやスイッチなどネットワーク機器を扱う会社から、コラボレーションやセキュリティを含むITのトータルソリューションを提供する会社へと変貌を遂げました。そして現在では、クルマをモバイルネットワークやクラウドとつなぎ、ICT端末としての機能を持たせる「コネクテッド・カー」をはじめ、「コネクテッド・マニュファクチャリング」「コネクテッド・ソサイエティ(社会)」をIoT(Internet of Things)戦略の柱と位置づけています。今のお話をうかがって、当時、村井さんやシスコのエンジニアたちが描いていたビジョンが、いままさに現実になりつつあると実感しています。とても感慨深いものがありますね。
中澤
デジタイゼーション、つまりデジタル技術による変革が急速に進む現代において、シスコは、どのような役割を担っていくのでしょうか?
鈴木
デジタイゼーションによる変革は、すでに、あらゆる産業領域で進んでいます。例えば金融界では、デジタルバンキングによるデジタルマネー、キャッシュフリーの社会に向けて動き出しています。小売業でも、顧客一人ひとりの購入履歴からライフスタイルや嗜好を把握し、商品やサービスをタイムリーに提供するだけでなく、3DやVRによるリアル店舗での買い物支援やユーザー体験の提供が始まっています。製造業でも、3Dプリンタを使ってプロトタイプ作成から生産までを効率化する手法が一般化するとともに、ロボットによって生産、物流、標準化、在庫・品質管理の効率化が大きく進んでいます。
また、デジタイゼーションは都市、国家レベルでも進展していて、世界各国が経済成長や雇用創出、都市のスマート化、医療、教育、治安などさまざまな領域で戦略的に取り組んでいます。シスコは2015年2月、フランス政府との間でデジタイゼーションに関するパートナーシップ協定を締結しました。フランス政府はそれによってGDPの2%成長や100万人の雇用創出、サイバーセキュリティ対策強化、ベンチャー企業育成などを目指すことを宣言しています。
エンターテインメントの分野も例外ではありません。シスコは今年6月、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会との間で、ネットワーク製品のカテゴリーにおいて、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会オフィシャルパートナー契約を締結しました。スポーツ観戦の体験を2012年のロンドン大会、2016年のリオデジャネイロ大会に続き、ネットワーク製品を大会の基盤として提供する。それによって、観戦客が最高の体験を味わえるよう努めるとともに、日本のデジタイゼーション能力の高さを世界に向けて発信していきたいと考えています。
村井
シスコは、特にFA(Factory Automation)の分野で、日本企業との連携を加速していますね。
鈴木
はい。FA分野では、ファナック株式会社と協業して、「工場のゼロダウンタイム(Zero Down Time、ZDT)」実現への取り組みを進めています。
シスコとファナックが共同開発している ZDT ソリューションでは、2 つの取り組みに焦点を当てています。第 1 は「壊れる前に知らせる」つまり故障予知です。ロボットの稼働データを、ネットワークを介して接続されたサーバーで取りまとめ、ファナックのデータセンターへと集約、その情報をモバイル端末などに送ることで、遠隔地からでも故障予知が行えるようになります。オペレーターはこの予知情報に基づいて、工場が動いていない時に部品交換を行うことで、ダウンタイムを回避できるのです。第 2 は「故障診断」です。故障予知を行っても、故障が発生する可能性はゼロにできません。その場合には、ロボットの稼働データを分析することで、故障原因を短時間で突き止めることが可能になります。ファナックではモーター等のロボットの基幹部品を自社で設計、製造しているため、問題が発生した場合にはすぐに設計情報と突き合わせ、迅速に問題解決できるのです。すでに米国では2015 年夏から自動車メーカーの工場にこのソリューションを導入しており、以前は3か月に 1 回発生していた非常停止をゼロにすることに成功しています。
また今年4月には、ファナックと産業システムのロックウェルオートメーション、人工知能領域のプリファードネットワークス、シスコの4社で工場の制御装置、ロボット、周辺デバイス、センサーなどを接続し、生産を最適化するプラットフォームの開発にも着手しました。
村井
産業分野によって、デジタル変革のスピードには大きな差があります。また、同じ産業分野でも、ライバル企業同士が激しい競争を繰り広げている業界では、各社が同じテーブルについて議論することは難しい。そんなとき、シスコのようなネットワーク企業が“つなぎ役”になることで、互いの知恵を結集することが可能になるんです。ITやネットワークに関わる私たちの責任は大きいですね。
鈴木
これまで結びつきのなかった、人、プロセス、データ、モノなどがつながることがイノベーションの源泉ですから、“つなぐ”というのは重要なキーワードですね。伝統的企業にとっては、今後、どこから競争相手が出てくるかわからない状況です。同様に、従来の枠組みではライバルと目されていた企業どうしも最適なパートナーになりうる……その意味で、「トヨタとウーバー(Uber)がライドシェア事業で提携した」というニュースは象徴的ですよね。カーシェアの普及が進むと、トヨタの本業であるクルマは売れなくなる可能性もあるわけです。それでもトヨタは、ウーバーが提供するサービスの顧客ニーズを把握するために提携に踏み切った。斬新な発想だと思います。

デジタルファブリケーションが「モノづくり」の概念を変える

村井
日本では世界に先がけて「iモード」※1や「ISDN」※2などのサービスを開発・提供しました。これらの技術は、結果的には国際標準にはなれなかったけれども、こうした日本独自のサービスを経験してきた日本のユーザーは、いわば「舌が肥えた」存在です。日本人は鉄道の定時運行技術などでも知られるように、システムやオペレーションに、過剰とも思えるほど高い精度を求める。その日本で鍛えられる商品やテクノロジーには、大きな意味があると思いますが、いかがですか?
鈴木
確かに日本のお客様は、非常に高品質なサービスを求める傾向がありますね。そんな中でシスコはこうした要望に対して真摯に丁寧に対応してきたと個人的にも評価しています。今後はより、お客様やパートナーの要望に寄り添い、製品とサービスの向上に努めたいと思っています。しかし、「完璧になるまで製品を世に出さない」という姿勢は、革新的なアイデアを生み出すという面においては、障害にもなりかねません。今後のIoT社会においては、「品質」に対する考え方も変化していく必要があるのではないかと思うんです。
村井
なるほど。おっしゃる通りですね。“初めから完全な技術”などないのだから、70%できあがった時点で製品をリリースし、ユーザーの声を反映しながらブラッシュアップしていくということですね。
鈴木
そうですね。最近では、多様な立場のステークホルダーと対話しながら新しい価値を生み出していく「コ・クリエーション(Co-Creation)」という考え方も一般的になってきました。顧客の声を聞いてマーケティングに活かすということは、これまでも多くの企業が実践してきましたが、今後はそれを超えて、企業は「消費者と共に」価値を作り上げていく必要があると思います。企業と消費者が一緒になって行う「オープンイノベーション型のモノづくり」は、ネットの領域ではすでに見られる手法ですが、3Dプリンタの登場で、フィジカルなモノづくりにおいても可能になってきました。“モノのベータ版”ともいうべきプロトタイプでの検証を重ね、発売後も対話を継続しながら製品を改良・進化させることで、time to market(製品を市場に投入するまでの時間)を短縮できるだけでなく、長く愛される商品をつくることが可能になるのではないでしょうか。その意味では、高品質なサービスを求める日本の消費者は私たちにとってありがたい存在です。
村井
「長く愛される」というキーワードで思い出しました。いま、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)では、3Dプリンタや3Dスキャナ、レーザーカッターなどを備え、すべての学生が自由に利用できる「ファブキャンパス」を世界に先駆けて整備しました。それらを活用して、学生自身の手で教育用宿泊施設を作っているんですよ。
鈴木
宿泊施設を? それは面白いですね。
村井
SFCには、3Dのモデリングデータを元に素材を削り出すことのできる工作機械もあるんですが、こうした機械を使えば、自分がイメージしたデザインを、熟練の木工職人なみの精緻さで加工できます。学生たちはこの機械を使ってベッドの部材などを自分好みのデザインに加工しているんです。世界に1つしかない“自分だけのモノ”ですから当然、愛着もひとしおです。そして同時に責任感も生まれてくるんですね。
「コ・クリエーション」が一般化してくると、プロダクトの設計者、製造者、管理者がそれぞれ異なる可能性が十分考えられる。もし、そのプロダクトを使って事故が起こった場合、「事故の責任は誰にあるのか?」などが問題になることが予想されますが、法律やレギュレーションで一元的に縛るのではなく、当事者間で責任の所在を決めるというような仕組みも生まれてくるでしょう。そうしたシステムが動き出す世の中を想像すると、ちょっと楽しみですよね。
鈴木
そう思います。これまでは万人向けに大量生産されたものをそのまま受け入れる受動的消費社会でしたが、モノづくりの主導権は、「企業」というサプライサイドから「消費者」というデマンドサイドに移ってきています。消費者自らがニーズや声をデジタル情報として発信し、それに基づいてデザインしていくことが、いよいよ現実のものになってきました。消費者がサプライ側との協働によって新たな価値を生み出していく時代が訪れているんです。個人が心から満足できるものを自らの手で作ることができるコ・クリエーション社会においては、一人ひとりの人生観やライフスタイルに合ったモノづくりが可能になる。こうした時代の到来によって、私たちの暮らしは、いっそう満ち足りたものになるのではないでしょうか。
村井
まったく同感です。私は、インターネットとモノづくりの融合によって、2030年には「ファブ地球社会」の時代が訪れると考えています。ファブ地球社会とは、地球上の70億人、1000億個のデバイスとセンサーがインターネットにつながることによって、より豊かなモノづくりが可能になる社会です。70億人がインターネットにつながることで、創造性や才能、デザインや感性といった個人に依存するものがWeb上で表現される可能性が生まれます。また、創造されたモノがWeb上でシェアされ、多くの創造性や感性を通じて改善されることで、新たな価値を持つモノが生まれるはずです。文部科学省のCOI(Center of Innovation)プログラムに採択された本学のプロジェクト「感性とデジタル製造を直結し、生活者の創造性を拡張するファブ地球社会創造拠点」では、このような社会を実現するために、人間や製造装置、社会制度、そしてその中間に位置するさまざまな技術課題、社会課題に取り組んでいます。 ※1 NTTドコモが1999年に発表した携帯電話向けインターネットサービス
※2 電話やFAXなどの通信サービスを効率よくするために作られたデジタルネットワーク。ISDNの登場でインターネット通信は高速化し、常時接続も可能となった。

デジタル変革が「支払い」や「価格」の概念を変える

村井
先日、中国人の友人が来日した時に「ラーメン屋に入ったんだけど、現金を持っていなかったので食べることができなかった」って憤慨してたんです。中国ではホテルを出るときにスマホさえ忘れなければ何の不便もない。日本は遅れてるって。そのときは半信半疑だったんだけど、この間、中国に行ったときに注意して見ていたら、彼の言う通りなんですよね。どんな店にもアリペイ(Alipay)と微信(WeChat)のQRコードが貼ってあって、コンビニやタクシーはもちろん、屋台で5円の食事をする時にも支払いができるんです。驚きました。
鈴木
あらゆる分野でオンライン決済が可能になると、アプリを利用した多様なビジネスを立ち上げることができるようになりますよね。例えばウーバーは、事前にアプリに登録したクレジットカード情報を元に決済処理ができるようにすることで、予約から支払いまでスマホ1台で完結させる仕組みを作った。アリババは、クルマそのものを電子決済ツールとして使うことのできる「インターネット自動車」を開発しています。例えばデパートに向かってドライブしているときに、車内のモニターから欲しい商品を注文しておくと、到着した時には支払いも完了していて、待ち時間なしに商品を受け取れるというようなサービスを提供しようとしているんですね。
村井
そんな時代がやってくると、商品やサービスの「価格」という概念も大きく変わるでしょうね。例えばウーバーは需要に応じて料金が変動しますよね? 需要が少ない時には安いけど、雨の日やクリスマスシーズンなど需要が多いときは料金が上がる。そんなダイナミックプライシングが当たり前になるでしょう。
鈴木
私の前職である航空業界、特にLCC(Low-Cost Carrier 格安航空会社)では、すでにダイナミックプライシングが一般化しています。例えば、利用者が少ない早朝は最も割安な価格で販売され、レジャー路線は週末に運賃が高くなります。逆にビジネス利用客が多い路線では平日の朝と夜が高くなり土日には安く販売されます。LCCの運賃は混雑具合によって秒単位で変化しているんです。
村井
駐車場の料金でも、秒単位のダイナミックプライシングが実現するかもしれませんね。自動運転車の車載システムが、最寄りのいちばん安い駐車場に誘導してくれるとか……でも、一方で駐車場の料金が秒単位で変化していたら、クルマは右往左往しちゃうかもしれないね(笑)。
鈴木
自動車との関連でいえば、シスコは今年5月から、日立システムズなどと連携して、マンホールの防犯・安全対策ソリューションの実証実験を行っているんです。マンホールって、排水処理能力を超えたゲリラ豪雨や、老朽化による破損ももちろんですが、カバーが盗まれたり、マンホールに爆弾を仕掛けるなどテロ行為に悪用される懸念もあるため、防犯・安全対策が急務なんです。
村井
マンホールのフタが盗まれる? そういえばマンホールのフタって、最近はおしゃれなデザインのものも増えていますよね。慶應のマンホールにはペンの校章が描かれています。コレクターが盗むんですか?
鈴木
いえいえ(笑)。コレクションじゃなくて、金属回収業者などに転売するみたいです。
村井
溶かして売っちゃうのか(笑)。
鈴木
マンホールの中に監視カメラとセンサーを設置して、豪雨によるフタの破損や歩行者が落下などの事態が発生した場合に、迅速な対応ができるようにしようというものです。もちろん、付近を走行中のドライバーに警告を発するなどの対策なども検討しています。
村井
交通量が一定量ある道路だったら、そのマンホールの上を通過するクルマに搭載されたカメラやセンサーの情報を集めて、リアルタイムでマンホールの状態を監視するなんてこともできるかもしれませんね。最近のクルマにはドライブレコーダー用も含めて6個ぐらいのカメラが搭載されているから、道路まわりの情報はほとんど集まるんじゃないでしょうか。
中澤
なるほど。でも、日本での自動車登録台数は約8000万台と言われています。しかもコネクテッド・カーが発信するデータはカメラの画像データだけではありませんから、データトラフィックは爆発的な量になりますね。
鈴木
2020年までには世界中で500億個のデバイスがインターネットにつながると予測されています。そのため、現状のままIoT化が進むと困ったことが起きる。センサーなどのデバイスから吸い上げられるビッグデータがクラウドコンピュータに集中して、データ処理が追いつかなくなってしまうのです。また、ネットワークのトラフィック爆発を引き起こしてしまうことも考えられます。
村井
そこでシスコが2011年から提唱しているのが「フォグコンピューティング」ですね。
鈴木
その通りです。クラウドとデバイスの間にフォグ(霧)と呼ぶ分散処理環境を置くことで、大量のデータを事前にさばき、クラウドへの一極集中を防ぐのです。クラウド(雲)よりも低い位置にあるためフォグ(霧)と名付けられています。
2015年11月には、シスコの他、英国のARM、米国のデル、マイクロソフト、インテル、プリンストン大学エッジラボラトリーが創立メンバーとなって「オープンフォグコンソーシアム」を設立しました。オープンなフォグコンピューティングを基盤としたアーキテクチャによって、新しいビジネスモデルや新しいアプリケーションの開発を通じてイノベーションを起こし、産業の成長を加速することを大きな目的とした組織です。今年4月には日本地域委員会(Japan Regional Committee)も発足しました。オープンフォグコンソーシアムの設立企業5社の日本法人に加え、東芝、富士通、さくらインターネット、NTTコミュニケーションズの各社が加盟しています。シスコでは今後も、オープンフォグコンソーシアムへの貢献や、世界各地のプロジェクトへの積極的な取り組みを通して、フォグコンピューティングを推進し、IoT の発展をリードしていきたいと考えています。

デジタル変革が変える「働き方」「学び方」

中澤
IoT技術の進化によって、企業のワークスタイルにも変革が求められるようになってきました。オフィスで働くという概念から解放され、在宅勤務や出先でも仕事をこなすことも可能な時代になってきました。シスコは、さまざまな企業のワークスタイル変革を実現してきたリーディングカンパニーです。ぜひ、ワークスタイル変革のポイントについてお聞かせください。
鈴木
政府が内閣官房に「働き方変革実現推進室」を設置し、必要な法律や政策を整備していく方針を固めたことで、多くの人々に「ワークスタイルの変革は、もはや先送りできない問題だ」と認識されたことは、私たちにとっては歓迎すべきことです。個人個人が自らの才能を存分に発揮し、コラボレーションし、新たなイノベーションを起こすためには、テレワークをはじめとした働き方改革が不可欠です。まさに私たちはそのためのコラボレーション技術(映像や音声によるコミュニケーションツール)を提供しているわけですが、技術だけではなく、組織風土や文化が重要です。例えばシリコンバレーでの働き方を見ると、従業員を時間で管理するという概念がなく「何時に出社して何時に帰宅しようが、成果さえ挙げてくれればいいじゃないか」という風土がある。シスコの日本法人でも、これに近い働き方を推進しています。こうした組織風土や文化を醸成することによってはじめて、政府が掲げる「女性の活躍」や「一億総活躍社会」が実現するのではないでしょうか。
中澤
シスコにおけるワークスタイルの特徴とは、どのようなものですか?
鈴木
私がシスコに入って驚いたのは「ダイバーシティ・インクルージョン」という部署があり、さまざまな意見やアイディアを取り入れることでより賢く仕事を成し遂げる方法が常に回っていること。そして優秀な社員を支える仕組みがあるということに本当に感動しました。
特にテレワークにおいては、2008年に全社員を対象としてテレワークを推進することを宣言しており、現在では約1200名の社員のほぼ全員が日常的にテレワークを実践しています。テレワークの効果として特筆すべきは、「女性社員が育児休業を取得した後の復職意欲の向上」です。社内アンケート調査を行ったところ、育休後の復職率は 100%、産休・育休中や産休・育休後の離職率は 0%、さらに平均 7.8か月で復職と驚異的な数字が出ています。また、復職した社員全員が「在宅勤務やテレワークを含む柔軟な働き方が、復職を促すサポート要因となった」と回答しているんです。
シスコでは、働き方改革を進めるためには、「組織風土」「プロセス・制度」「テクノロジー」という3つの要素が必要だと考えています。とりわけ重要なポイントは「信頼関係」ですね。いくらテクノロジー(IT ツール)を導入し、テレワークを認める制度を整備しても、例えばある社員が社外、あるいは自宅で仕事しているときに「真面目に仕事してないんじゃないか」「あの人、いつも外にいるよね」というような雰囲気が管理職や他の社員の間で蔓延するようでは、なるべくテレワークはやりたくないな、という空気になってしまいます。やはり多様なワークスタイルを認め合う組織風土を醸成することが大切です。働き方の効率をアップし、風通しの良い組織から発想豊かな提案が日本法人からも出るようにしたいですね。そしてシスコの技術を使って、「どこにいても働ける」ということを証明していきたいと思います。
村井
ネットワークシステムの進化によって、大学教授のテレワークも可能になりました。従来は、教授が出張中には休講になるのが常でしたが、今では世界中にネットワーク環境が整っているので、海外の出張先から遠隔講義ができるようになりました。教授にとっても学生にとってもメリットは大きいですね。
教育分野は、デジタル変革の有望なセグメントのひとつだと思います。SFCでは従来から他大学と連携して、テレビ会議システムを活用した遠隔講義なども行っています。各大学にはそれぞれの分野での第一人者の先生がいますから、学生は遠隔授業によってどの大学にいても一番いい授業に参加できるようになります。また、教室間をつないだり、海外の先生を教室に招いて講演をしてもらうことで、大学の違いに関係なくコラボレーションできる環境が生まれるんです。
また、病気で通学ができない人や、子育て中の女性など、これまで教育を受ける機会に恵まれていなかった人たちにも学位取得のチャンスが生まれます。
中澤
企業で働きながら学ぶということも容易になるでしょうね。これまでは社会に出た人が専門的な学びを得ようとすると、休職して大学院に通うというケースが一般的でしたが、会社の昼休みや帰宅後の時間を利用してオンラインで講義を受け、学位を取得するというような……。
村井
まさにその通りです。MOOC(ムークMassive Open Online Course=インターネットを用いた大規模公開オンライン講座)のようなシステムを利用すれば、インターネット上で自由な時間に、自由な科目の選択ができる。1コマの講義は20分程度だから、働きながらでも無理なく勉強することが可能です。目まぐるしく変化する経営環境や市場環境への対応が求められるなかで、技術者が経営・マネジメントについて学ぶ、あるいはマネジメント部門の社員が最先端テクノロジーについて学ぶといったニーズは高まっています。デジタル変革によって、オープンエデュケーションの機会も増え、ますます充実していくでしょうね。

大学では「尖った感性」を許容し、磨きをかけてほしい

中澤
今後、デジタル変革によって、さまざまな産業分野でイノベーションを起こすためには、やはり「人材」が重要なカギだと思います。次代のイノベーターを生み出すために、鈴木さんが大学に期待するのは、どんなことでしょうか?
鈴木
大学の話をする前に、まず、日本の教育制度はかなり改革の余地があると考えています。いま、全国の公立学校で校内LANが整備されている教室の割合はわずか3割未満です。小中学校の段階でITの知識やスキルに興味を持つ子を育てないと、将来、日本の飛躍的な発展は望めません。学校現場で先生方の話を聞く機会も多いのですが、残念ながら「インターネットは教育の妨げになる」と考える先生も、まだ少なくないようです。日本は、そういう文化から一刻も早く逃げ出さなくてはいけない。情報があふれる国際社会では、「異なる背景や多様な力を持つ子どもたちがコミュニケーションを通じて協働し、新たな価値を生み出す力」が求められます。教育現場にこそ、デジタル改革が必要ですね。
そのうえで、大学では「尖った感性」を許容し、磨きをかけてほしいですね。アメリカでは、誰かが変わった意見を述べると「それはすばらしい。ぜひ実現しよう!」と歓迎される。SFCには、尖った感性を持つ学生が集っていると聞いています。大いに期待しています。
中澤
鈴木さん、村井さん、本日はありがとうございました。