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PS-05 「Speculative Visions of the Future University-アカルイ未来の大学を考える」事前対談
- イベントURL

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公式サイトイベント詳細ページhttp://orf.sfc.keio.ac.jp/468/
Facebookイベントページhttps://www.facebook.com/events/1640979712795662/


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- はじめに

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脇田 今年のORF(Open Research Forum)のテーマは「proto-university」(プロト・ユニバーシティ)、大学です。今の延長としてではなく、もう一回未分化の状態から、あり得る大学の理想像を考えたいと思います。そこで、水野さんに40歳前後(A-40)の人々を集めたセッションをお願いし、面白そうな人を選んでもらいました。セッションは一時間と短いので、せっかくなら事前企画として登壇者の皆さんに話をしていただこう、ということで本日集まっていただきました。

水野 ORFのセッションには、実行委員会が企画したものが他に二つあります。一つは20歳前後(U-20)で、そちらは江渡浩一郎さんが司会をされ、野生の研究者としての学生の活動を紹介されるそうです。もう一つは、60歳前後(O-60)でして、大学運営をされている先生方等をお招きして大学のあり方についての議論がされる予定です。A-40のセッションのタイトルを「Speculative Visions of the Future University −アカルイ未来の大学を考える」ということにしています。片仮名の「アカルイ」を『WIRED』日本版から拝借させていただきました笑。

 個人的には福原さんとは2001年からの長い付き合いでして、『リアル・アノニマスデザイン』という本においても、福原さんのことを書かせてもらいました。福原さんは美術を勉強された後、バイオテクノロジーとデザインと美術の接合を活動の主軸にすえ、気がつけば大学で研究員をされています。福原さんの活動は当然のように分野横断的で、未分化の状況のようなものに近いような気がしています。そんな福原さんから見ると、今日の大学の状況というのはどういうふうに映るのか?今、大学内で仕事をされていることも含めて、福原さんに日本の大学はどのように映るのかとについて、今日はセッションの前段として話を聞けたらいいなと思っています。

 そして、福原さんのような横断的な活動を前提に、広くデザイン、美術、テクノロジー、科学のことをずっと扱ってきた『WIRED』日本版 編集長としての若林さんから見ると、今の大学の状況みたいなものがどういうふうに映っていらっしゃるのか?大学は、これからどのような形になっていくのか?そのようなことをイメージした上でお二人を登壇者として選ばせていただきました。

脇田 僕は、大学での科学者の研究のあり方に関して問題意識を持たれている若林さんと、科学に片足を置きつつ、それを批評的に捉えてる福原さんという組み合わせが面白いと思います。水野さんもRCAでファッションを研究された後、既存の大学の研究の範疇にないものをあえて切り込んでいる。こういう異種格闘技系の人たちが集まったら、未分化の状態に何か生まれるのではないかというのが僕の期待です。

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- 文系/理系の分断

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水野 折しも先日(2014年9月)、文部科学省は国立大学法人評価委員会での論議をうけ、「教員養成系、人文社会科学系の廃止、転換」についての通達を全国の国立大学に出しました。そして今、国立大学に文系学部は本当に要らないのか?という議論が起りつつあるかと思います。この背景には少子化の中で理系離れを止めて、技術力で日本を推進させたいという思いもあることでしょう。しかし、科学者が何かを作るにあたって、その背後には当然哲学があります。つまり文系の知識があった上に理系の実装力をドライブさせることが重要なのだから、文系/理系を超えた学科再編の可能性を示唆しているようにも思えます。

脇田 物事を表現するときには、文学は切っても切れないものです。国が人文社会科学系の学科廃止を通達するのは、恐ろしいことです。「両方あるから両方やればいい」では問題なのでしょうか?

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若林 海外ではどうなのでしょう?「文系/理系」という分け方はないですよね。

福原 そうですね、その分け方は存在しないです。どちらにしろ、私は美術の学校に行っていたので、そもそも「文系/理系」の対立とは切り離されていました。私のいた大学院のコース(元コンピュータ・リレーテッド・デザイン、現デザイン・インタラクションズ)は、バイオテクノロジーも、インタラクションデザインも、コンピュテーショナルデザインも扱っているから、むしろ理系と言われがちです。けれども、そこでは社会がどのようにテクノロジーによって形成されてきたのか、あるいは逆にテクノロジーが社会によってどのように形成されてきたのかを考えながらデザインをします。それを文系/理系と言われ、分けられる必要はありません。

 最近、日本では理系女子、リケジョという表現がありますね。講談社は数年前に理系女子支援サービス「Rikejo」を発表しましたが、実は私、Rikejo主催のイベントに1度参加したことがありますが、参加して不思議な気持ちになりました。まず研究員を「女子/男子」と分けたこと、そして「文系/理系」とに分けたことで、両方の不思議な感じがあったのです。イベントにはどんな人たちが来るのだろうかと興味があって、自ら応募してイベントに参加したのですが。

若林 ちなみに、どんな方々が来ていたのですか。

福原 研究者として大学や企業に所属する女性が主でした。イベントでは女性がどうやって男性社会の中でやっていくか、子育てとキャリアのバランスをどう取るのか、といった生の声が聞けました。例えば、Googleカレンダーを旦那さんと分刻みでスケジュールを共有するなど、結構使えるネタもありました笑。そういう会はあって良かったと思います。でも、理系だからキャリア形成は難しいという話は不自然です。話を聞いていても文系でもあまり変わらないのではないか、あまり分けなくてもいいのではないかと思いました。

若林 「文系/理系」、「女子/男子」の話にも関連しますが、女性の起業家や科学者にも、面白い人たちは当然いますよね。『WIRED』でそういった女性の特集も考えられるし、やってみたい気もしますが、やはり難しいのです。「ワイルドガールズ」という特集を組んでみたいような気もしますが、大体断られるような気もします。

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福原 「ガールズ」と銘打つと、女「子」と言って突っ込まれそうですね。「し」とは、「子」じゃなくて、歴史の「史」のほうだと。

若林 特集自体は本当にやってみたいと思っているんです。例えば生殖医療のフロントライン。僕と同世代の女性には妊娠・出産は年齢的にとてもリアリティのある問題で、いろいろと調べている人もいます。タイやアメリカならこういう医療が受けられるとか、日本であれば浜松のここなら、神戸のそこならこれができるとか。この部分は法律的にグレーだとか。ただ単に「ある病院では特別な医療サービスが受けられる」という話ではなく、生殖医療のフロントラインはとても現代的なテーマだという気がします。

 他方、このようなテーマは非常に面白いと思うのですが、男がやると失敗するのではと危惧もします。科学者の皆さんはどう思うか解りませんが、科学はジェンダーによって微妙に捉え方が違うという気がするのです。男性と女性で、生殖医療に対するアプローチは恐らく全然違うのではないか。もっと言えば、女性が科学に興味をもつということは、どういうことなのか。実は、男性はよく解っていないのではないかと思います。

水野 生殖医療に関する話は、「男/女」によって同じ研究領域をそれぞれが規定することで違いを生む、という意味で興味深い指摘ですね。もう少し合わさってやってもいいのにという話もあるでしょうが、それぞれの特徴を見つけるのも面白そうですね。

福原 自分が妊娠して命をかけて子どもを産むことや、産んだ後どうするのかという問題もあります。そこには当事者性というか、生々しい話があるのが違いだろうと思います。また、社会の中での役割の差異、例えば、日本では男性は家庭を守って食べさせていかないといけない立場にまだあります。いくら共働きが増えたとしても、家に残る女性はいまだに多い。そういう意味で子育てを考えたり、医療、科学を考えたりすると、見方が少し違うのは当然ですよね。

脇田 科学に対する社会の感受性は0か1か、いいか悪いかです。どれくらいの「確かさ」で実現可能なのかといった議論をせず、研究者の容姿の話にいってしまった。科学のリテラシーが普及していないことが露呈したと思うのです。


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- 科学とリテラシー

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若林 科学のリテラシーとは何でしょうか。理系といわれている人たちは、自分の専門に関してはリテラシーがあるかもしれない。けれど専門的領域を離れてもリテラシーを持っているのかというと、そうとは必ずしも言えないですよね。せめて科学者の人たちは横断的に浅くともリテラシーを高めましょう、という話は分かります。けれども、一般人がやる必要がある話なのかと思ったりもします。 

 もちろん科学のリテラシーは上げなくてはいけない。しかしそれが、一体何を意味しているのかが解らないのです。STAP細胞に対して研究者が「こういう理由で再現性がありません」と言う一方で、「こういう可能性はあるかもしれない」とも言う。ではどちらが正しいのかと言われても、分かるわけがありません。何が共有されればリテラシーが共有されたということになるのか?そこまできちんと議論されるべきだと思います。

脇田 僕は若林さんが今おっしゃったように、「解らない」という姿勢が大事なのではないか、ということが言いたかったのです。何が正しいかを決めつけないということです。「解らないといけない」と思う私たちは、物事を「正しい/正しくない」の二元論で扱いがちです。それは「確かさ」の問題だということを皆が意識するということができれば、うそか本当かという議論ではなく成功率の問題を扱う議論になると思うのです。

福原 だからこそ、文系/理系と切ってはいけないと思います。リテラシーを考えること、それこそが文系が担うべきところであると分けられていますが。。科学者の多くが研究を問題なく遂行できても、その後どうやってパブリック・コミュニケーションを取っていくか、というところで壁にぶつかります。お金をもらって実施する研究の成果は一般の人に受け入れてもらわないとやれません。例えば遺伝子組み換えで言うと、研究したけれども外に出せず20年ぐらい閉じ込めているだけの生物がいっぱいいます。

 例えば、桜。東京のソメイヨシノは同じ木からのクローンなので、ある種のウイルスの変異によって東京の桜は一気になくなる可能性があります。では、それをどうやって止めるのか。それを20年前に考え、耐性があるソメイヨシノを作った人がいます。けれども、一切外に出せてないのです。パブリックアクセプタンスによって、遺伝子組み換え作物は簡単に外に出せないのです。テストをして通せば可能ですが、研究者にはテストをするだけの資金がない。皆の役に立つための科学だったはずが、結局研究室の中で閉じ込められ、何のためのリサーチなのかそもそも解らない。今私たちがしている会話が、科学者もできる環境がなければいけません。

水野 皆のために研究をやっています、こういう価値がありますという話が、もしかしたら価値はいいものだけではないかもしれない。ポジティブな面もネガティブな面も双方から議論ができるような状況をつくりたいけれども、なかなかそこに至る状況が作れていない、というのも問題ですね。

若林 僕は、今日本で起きている問題とは、「何のために日本に科学者が要るのか」というコンセンサスがない、ということだと思います。例えば、アメリカでは科学者は社会にとってどういう存在なのか、割と明確なコンセンサスがあります。科学をやっている人たちとは、ある種の真理を追及する人たちです。ある種踏破性がないところで真実を語っている一応の前提がアメリカでは共有されている。そんなことを科学ライターの吉川さんがおっしゃっていて、なるほどと思いました。日本には恐らくそれはないのではないか。

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福原 むしろ真逆なくらいで、科学者が何か言っても、「うさんくさい」みたいに思われていますよね。

若林 音楽でもそうです。日本の音楽が駄目な理由に、「なぜ音楽家という人たちがいるのか」という社会的コンセンサスがないことが挙げられるでしょう。音楽とはどういうものであるか。皆が同じ見解を持つべきというわけではないけれども、「音楽が、人間や社会にとってどういうもので、それを作る人とはこういう人たちです」というコンセンサスがない。だから結局、個人のバックストーリーに全部いってしまうのです。目が見えないとか、がんを克服したとか。そこの回路を経由しないと音楽そのものに出合えないということになってしまう感じがします。

 以前に音楽の特集をやったとき、アメリカでブルーノートの社長をはじめとするプロデューサーに話を聞きに行きました。音楽業界は苦しい時期に今あるわけですが、それを受けて最初に語り始めるときでも、皆「そもそも音楽というのは、人間にとってこういうものだと思うのだ」というところから語り始めた。「であるがゆえに世の中にとって必要で、しかも音楽はそういうものであるがゆえに、こういうものが作られなければいけない」という話をきちんとしてくれる。その上で、とんでもない話もする。よく解らない脳科学の知識を持ってきて、人間にとって音楽とは?みたいな話を延々とする人もいましたが、いずれにしても語り始め方が僕は美しいな、と思うんです。

 僕らにとって科学とは何なのか、どういうものなのか。科学に関して常日頃よく解らないと思っているのは、「世の中に役に立つことを考える領域」と、純粋に「ある種の宇宙の真理を探究する領域」があるとすると、それらが割と都合よく入れ替えられ曖昧になっていることです。世の中に役に立つのがデザインやエンジニアリングの領域で、真理を探究するというのが美術や科学の領域なのかもしれません。でも、それも実は科学者の中で曖昧にしていることではないでしょうか。科学者たちは社会に役に立つある種の何かを作り出そうとしているのか、それとも何かの探究なのか、それとも意図的に曖昧にしているのかが解らないのです。

福原 「基礎研究です」と言っている人たちは、役に立つ成果に落とし込もうとすると本当の真理は見えなくなるからと、何とかそれを回避しようとします。けれども、彼らは研究費や周辺の関係者からのプレッシャーにさらされています。結局役に立ったほうがお金を貰えるため、ふるい落とされてもしつこく頑張る人しか基礎研究はできないのが苦しいところです。基礎研究には継続性が一番大事だ、という理解を国や関係者たちがしない限り、どうにかしてやるしかない今日の状況に陥ります。その立場は芸術家に近く、ぎりぎりのお金でやるような感じです。


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- 美術と科学/デザインとエンジニアリング

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若林 美術と科学は飛躍をもたらすもので、デザインとエンジニアリングは、飛躍をの生活の中に実装していく作業である、と分けると解りやすいと思いました。例えば、芸術家と科学者は飛躍をもたらす人たちなので頑張って飛躍してください、としてみる。それに皆が税金を払いたいかと思うかどうかは解りませんが、「なるほど、しょうがない」という理解の仕方もあるでしょう。では、実装する領域の人たちは「金もうけにならないと困ります」という領域に置いておくことはできるのでしょうか?飛躍をもたらす領域と実装する領域、もう少し深く理解した上での線引きというのは、あってもいいのではないかという気もします。

 「音楽家の仕事とは音楽の可能性を拡張することだ」という人たちがいます。この人たちは現代音楽の人たちです。一方で「音楽とはエンターテインメントだ」とか「日常のある種の何かを解放してくれる何かだ」というと実装側の発想に近い。それはポピュラリティを得てこそ価値を持つ領域だったりします。行き来はできるといえど、この二つはプロフェッショナルな領域としては分かれていますよね。

脇田 それは大学に返ってくる問題ですね。特に理系といわれる研究室では、研究は配属された研究室の先生から与えられるものであって、自ら開拓していく必要がない場合が多い。その幼さを持って大学で研究し続けると、自分の研究に本質的な責任を持たずにいる人が出てきてしまいます。

福原 それが大多数ではないか、という気がします。先生も学生に自立してほしいので、いろいろやろうとはしています。けれども本当にブレークスルーする研究を思い立つならそれなりにトレーニングをしておかないと。いきなり「何か思いついてよ」と言われてもできませんよ。

若林 それは訓練できますか?

福原 私は日本に帰ってきて美大に行って驚いたのです。どうしていい子しかいないんですか?皆すごく真面目なんです。課題をもらうという仕組みもおかしい。どうして美術学生が課題をもらっているんですか?学校はトレーニングセンターというか、失敗してもいい場所ですよね。芸術家がいきなり社会に出て失敗したら、逮捕されるような失敗もありえます。学生だったら先生に怒られる程度ですむのに、社会に出て実力を試すトレーニングを危機感を持ってやっているようにみえません。皆がいい子になろうとしているのです。結局、学生は間違いを起こすのをすごく怖がっています。遡るとそれは幼稚園から始まっていて、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と皆、「正しい/正しくない」という判断で分けられています。そういうのをずっとやってきた人たちが、大学に行って、「ハチャメチャなことをやりなさい」と言われてもすぐにはできませんし、自分の意見ですら言えませんよね。

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水野 この話を若林さんの話を組み合わせると、社会実装を前提とする研究者と、基礎研究を前提とした研究者の交差点をつくったほうがいいということでしょうか。基礎研究を前提に跳躍力を身に付けつつ、それを作品として社会に発表、実装できるようにすることは可能か。社会は常に誰かの跳躍力を必要とする状況ですが、それがよく解らないので、問題設定をある特定の専門領域の中に求めようとしてしまうような傾向がある。

 その上で、スペシャリストとしての先生が「あれはいい、これは悪い」と判断すれば、取りあえず学生は何となく道は分かるようになる。けれども、それは自分で積み上げていったものではないので、一度梯子を外されると全部駄目になってしまいます。ある特定の専門領域では「優れた研究者」みたいなものはできるけれども、突拍子もない新しい領域の基礎研究を見つけてそこで成果を出す。あるいは、途中で社会実装の可能性を見つけて成果をだす。そういう人材の育成にはつながらないのではと思います。

若林 基礎研究とは何を指しているのですか?

水野 若林さんの言葉ではそれは「真理の追求」ということでしたね。あるいは経済的な利益に直接結び付かない研究、という意味なのかもしれないですが。

若林 「基礎研究」だけをやっている方は、少しかわいそうではありませんか。命や宇宙とは何か、を探求することは一番重要な問題ですよね。

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水野 芸術界では「基礎研究」に該当することだけをやっている人のほうが偉い、という風潮があります。僕はファッションを専門的にやっていたのですが、それは芸術界のヒエラルキーの底辺に位置づけられてるといっていい、と思います。上部には絵画や彫刻など、純粋に想像力を形にするというものです。他方、ファッションは流行にあくせくしている人が圧倒的多数です。基礎的なものには人類の英知に関わる大きな課題であり、お金には直接結び付かないけれどもやること自体に意義があるので尊敬の対象である、と思います。


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- 科学と美術の再接合

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若林 僕は文学部、仏文出身です。文学は表現の領域だと思われていますが、僕は科学だと考えたい。雑な言い方をすれば、言語に対する仮説を持って作品を書き、ある種の整合性をもってそれが成立したときには、一応その仮説は証明された、というふうに考えてみたい。例えば詩。特に現代詩の作品は言語にまつわる科学として考えたほうが良いと思います。明確な認識に基づいて形にする方法論があるという意味で、それは科学的な営為だと思うわけです。科学と美術は、もともとは一緒だというような話がありますが、やはり美術を、もう一回科学の側に引き戻して考えるというようなことを検討してもいいのではないか。美術をもう一度科学というものとして理解する、ということです。

福原 今、逆のことが起きていて、科学を美術的に考える機会がやっと最近出てきています。私事ながら11月27日、分子生物学学会主催の「生命に迫るサイエンス&アートの新たな挑戦」というトークイベントに参加する予定ですが、展覧会も同時にパシフィコ横浜で開催されます。普通展覧会を開催する場所はありません。芸術家からすれば様々な課題はありますが、そういう場所にこそ切り込んでいかないといけないという意識があります。

水野 僕は、この話は「想像力」の問題だと捉えています。それのきっかけになったのは、僕がRCAで博士課程に在籍していた際に、隣のインペリアルカレッジ工科大とロイヤルカレッジ・オブ・ミュージックから先生が来て、「研究とは何か」というセミナーが開催されたことです。面白かったのは、芸術の学校であるRCAとロイヤルカレッジ・オブ・ミュージックでは、博士課程となった途端に「科学的」な何かを考えなければいけないと研究を捉えていたことです。それは論文を書くことで、想像力を言葉に規定して再表象可能なものにしよう、根拠のあるものにしよう、とすごく硬く考えるようになる傾向があるということ、として解釈できます。

 一方、インペリアルカレッジ工科大から来た先生は逆で、「我々の中にはずっと窓の外を見るのが仕事の人がいて、ひらめいた時にしか研究をしない人もいる」といったのです。ひらめきをずっと外を見て待っているというような話は、いわば柔らかいアーティスティックな研究のあり方に思えます。つまり、科学者が芸術家のような想像力を欲している一方、芸術家が科学者のような想像力の実践の仕方を「研究」として必要としている。お互いにないものねだりをしているだけなのではないかという話に、なるほどと思ったわけです。最終的に、この話は「想像力をいかに扱うか」ということでしかないのではないか。

福原 遺伝子の研究など、想像力がなかったら絶対に起きなかったものです。ATCGと書いてあるわけでもないし、二重らせんも見えない。もしかしたら、10年後には全部違いましたというようなこともあり得るので、皆仮定としてメタファーで話をしています。そこは芸術家からしてみても全く同じで、もやもやした自分の思いを作品に出しても、「これはどういうことなのだろう」と自分で見えなくなってくることもあります。それを言語化することによってまとめられる科学者に憧れがあります。皆と共有して、「そうだよね」と明示的に共感してもらえるようになる。

脇田 それだけ本質的な部分で分かり合えるのに社会的な仕事としては、分かれたものとしてラベリングしているわけです。そういうものを「プロト」としてもう一回呼び戻し、大学が機能し得るかを考えたいと思っています。

若林 以前、友達と「大学は結局何を生んだのだろう」というような話をしたことがあります。1つ思いついたのは、結構バンドが出たということです(笑)。例えば過去20年の京都の状況を振り返ってみると、バンドや劇団とかが沢山でましたよね。バンドや劇団を生む場としての大学。それでもいいのではないかと思いました。

脇田 そういう場として大学の価値を捉えるのは僕は大賛成です。それは、120単位授業を受ければ学位を取るに値するのか、ということでもあります。誰がそれを解釈するのか。そういう制度によって大学は維持され僕も給料をもらっていますが、皆さんに伺いたいのは「大学の存在価値」そのものでもあります。

水野 僕は、前職で椿昇さんという現代美術家で上司の先生のお手伝いを京都でしていました。地方の美大ならではの問題みたいなものもあったし、もしかしたら日本全体の問題なのかもしれないのですが、高校からそのまま入学する学生の大半は、実はそれほど美術やデザインに興味がなかったりする人がいます。高校での美術教育は残念ながらたかがしれているので、創造力が失われている状態です。そこで椿さん主導の元、1年生全員を対象に必修の極めて基礎的なワークショップを半年間毎週実施し、その後の活動に結び付けていってもらうプログラムを実施するお手伝いをしました。

 そういうことをする場としては、大学は一応意味があると思います。大学で勉強するために何が必要かを勉強しろ、という話ではなく、教育を見直す最後の砦としての大学という場所ですね。

脇田 そういう話は70年代のアメリカで教育学の研究者たちが盛んに議論していました。小中高の教育によって考える力が失われてしまったため、リハビリを大学がしているようなものです。先ほどの話ではないけれども、毎日学校に行って授業を受け、120単位を取得することが学ぶことだと置き換えられてしまっている。SFCにしても4年間で結局何を学べるかというと、アイデアを出す方法とか考える作法なのかもしれません。でも、そういうリハビリをするような場所が大学であり、小中高で凝り固まって考え方が分からなくなった人に対して、最初にもう一回戻してあげる。そういう場なのではないかと思います。そう考えると大学教育は空しいですね。


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- 近代以降のイノベーティブな教育とは

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若林 今日の学校制度は基本的に近代のパラダイム、つまり工場で働く人たちを養成することを前提としたものですよね。取り換えがきく人材をつくるのは、高度経済成長期には必要な仕組みだったわけです。つまり、単純に教育現場の話ではなく、「日本とは何で食っていく国なのですか?」という問いから逆算されて学校制度は作られたわけです。近代国家としての日本とはこういう形です、人はこうやって生きていくのです、と。では、取り換え可能な部品として働くのが嫌なら、次はどうするのか?

福原 結局、今一番社会が必要な人材は、ハードもソフトもできないと駄目です。人が欲してるもの、皆が見ているもの、欲しいものは何かみたいなところも見て、それを事業化する。マーケティングができて、ローカリゼーションができて、プロトタイピングができても、核となるアイデアがなければ何も起きません。その両方をやるにはどうしたらいいかと考えると、やはり「文系/理系」と分けては駄目だと思います。

水野 僕や福原さんが体験した90年代のイギリスの美術教育はミクスドメディアに移行していく時期だったかと思います。けれども、デザインは「ディシプリン」として近代の発生と同時に誕生したので、ジャンルごとに非常に細かく分かれたままでした。2000年代以降ようやく横断的になり、福原さんが在籍していたRCAのコース名も変化しましたし、僕が在籍していた学科も今ではスクール・オブ・マテリアルという名前になっています。オランダのデザインアカデミー・アイントホーフェンはもっと動きが早く、90年代にマン・アンド・レジャーとか、マン・アンド・コミュニケーションと言ったコース名に変更したことに明らかなように、横断的にデザインを捉えていました。翻って今の日本の美大を見ると、総合デザイン、基礎デザインといったコースしかありません。このような横断的なデザインの状況をさらに日本でも考えていく必要があるのかもしれない。そして、先ほどの若林さんの話にもあるように、出口が変わることを前提に教育も変わらないといけない、という話かと思います。

若林 大学が本気で生き残りたいのだったら、変わらざるを得ないですよね。世の中全体が断片からではもはや語れなくなってきています。『WIRED』のウェブサイトも「テクノロジー」や「ビジネス」、「カルチャー」といったカテゴリ分けをしているけれども、アップルの記事が出てくるたびに、どこに入れたらいのか解りません。テクノロジーの話でもあり、カルチャーの話でもあり、ビジネスの話でもあるからです。

 この話と関連して、ウエアラブル学会とユビキタス学会が最近合流したのですが、その理由は両者が同じ話をしていることに気付いためだそうです。今まで縦軸で切っていたのに横軸で見ないと解らない。大学も生き残りたかったら、横軸に合わせればいいのではないかと思いますし、それは避けられない話です。ただし、僕は詩人とか数学者は世の中にいてほしい。そういう人たちを税金できちんと支えていたほうがいいと思います。世の中の役に立たないことというのは、重要だと思います。

脇田 「役に立つ/役に立たない」という判断は、現在決めているわけですよね。それが600年後どうなるかは解りません。何かの本で読んだのですが、雅楽やバイオリンの演奏者は「数百年後の人に楽器を受け渡す為にために私は演奏している」と言っていますね。

福原 科学者も同じことを言っています。芸術家は語弊があるかもしれませんが、やりたいから勝手にやっている。評価されたらうれしいけれど、評価されなくても私は勝手にやる、という姿勢です。けれど、モチベーションに違いがあります。芸術家に「これはどうやって作ったの」と聞いても、あまり教えてくれないことが多いです。でも、科学者にどうやってやったのかと聞くと、10年かけてやった研究でも10分で教えてくれるのです。空しくないのかと聞くと、「いや、いや。自分がやった研究を200年後に誰かが発展させてくれたら、そちらのほうがすごいじゃないですか。今評価されるよりも。」というのを聞いて、モチベーションが根本的に違うと思いました。そういう科学者の純粋さに、すごく憧れます。

 ヨーロッパでは歴史的に科学者も芸術家の重要性が認識されています。だから、かつてはオランダで音楽家や、芸術家ですと言うとお金をもらえたのです。ただし今は、それをやり過ぎて駄目にしてしまった。モチベーションを逆に下げてしまった、ということです。でも日本に帰ってきたら状況が真逆過ぎて、どうやって食べていけばいいのだろうと呆然としました。イギリスの美術大学ではビジネス面もしっかりと教えるところがあり、私も知的財産権に関する授業等を受けました。日本では作品制作において「コピペ」がすごく多いです。学生の作品を見ても、後で絶対突っ込まれるだろうなと思うことが多い。でも、授業内で先生がOKと言うからいいと思ってやってる人たちが割と多いです。何のために芸術家になるべく授業料を払っているのか、理解しがたいです。

脇田 「思考していない」のではないですか。思考停止状態をうまく大学側が利用して、高校までに考えることをなくさせ、その上で教員が食べていく。そういう悪循環のシステムです。

福原 私が学部時代に在籍していたセントラル・セント・マーティンズ美術大学は面白いシステムを取っていました。先生がほぼ強制的に6カ月に変わるのです。1人か2人だけ、一応コースを回す先生が残ります。その上で活躍している今旬な先生がどこからか呼ばれてくる。だから学生がすごく盛り上がるのです。先生もプレゼンテーションしなければいけないし、人気がない先生と人気がある先生ではっきり分かれるのは結構プレッシャーがあってシビアでした。

脇田 日本の大学はそういう査定が何もないですね。僕は今、Sci-Arcというアメリカの建築大学でも教えています。そこにはテニュア職の先生が一人もいないのです。学部長すら、もう5年後いないかもしれません。そういう状況でやっているから、全体がものすごい危機感と新陳代謝の中にあるわけです。日本の大学の多くではテニュア職に就いたら死ぬまでいていいことになるし、考えることのない学生が来る。


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- 答えのない問いを問う

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福原 学校では先生も失敗してもいいと思うんです。逆に失敗を恐れなくするにはどうしたらいいかを最近すごく考えています。でも、「失敗はありません」と言われたら、何をしていいか分からなくなります。お金も時間もあげるから何をやってもいいと言われたら、逆につまらない。失敗しないためにプランを考える癖が付いているから、何を成功とし、モチベーションをどこに置くべきか、分からなくなるのではないかと思います。「失敗してはいけない」ということを絶対に忘れられないですし、いつもその恐怖と戦います。

 ただし、「アーティスト・ライセンス」と私は呼んでいるのですが、芸術家はそもそも失敗という定義がありません。芸術家には失うものがありません。あるとしたら人に迷惑を掛けたとか、すごい問題を起こしたとかぐらいですし、美術なのだから、それも含めていいではないかと思います。では、どうやってそういうふうな思考になれるように考えられるか?そこがすごく難しいと思っています。

若林 僕は若い子と仕事していると、基本的に「答えがある」という前提で話をしているなと感じます。例えば、雑誌の見出しを付けるときに答えなどありません。一応僕がオーケーを出したものが答えだとすると、僕が正解なのかもしれない。けれども、僕が思いつかないものでも、いいものだったら別にいいわけです。常に誰かのもつ答えを探さなくてはいけないというよう考え方が、とことん慣らされているなと感じます。もちろん、それは自戒も含めてですが。答えはGoogleですぐに見つかるので、答えには意味がないのです。ですから、逆に言うと、正しい「問い」ができるかが重要になってきます。

福原 『ヒッチハイカーズ・ガイド・トゥ・ザ・ギャラクシー』を思い出しますね、答えが出ているが、その答えをどうやって出したのと聞いても解らないというエピソード。質問も、どうやってその答えが出たのかも解らない笑。

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若林 MITメディアラボにスガタ・ミトラというインド人の面白い研究者がいて、インドで「ホール・イン・ザ・ウォール」というプロジェクトをやっていました。インドのスラム街に突然ネットに繋がったパソコンを置いて、子供たちがどういう風に使い始めるかというのを研究したものです。すぐに子供たちはGoogleにたどり着き、「これだったら宿題の答えが見つかるな」と使い方を使いながら発見したのです。どんな仕事でも、やり方が分からければGoogleで調べてやり方を理解し、とりあえず1回やってみる。その経験を繰り返していけば、大学で講義を受けなくても職を名乗ることが可能です。世の中はどんどんこういう風になっていくのではないか、ということでした。

 そこで重要なのは、まず「読み書きの能力」、さらに「自分が探している答えに正確にたどり着くための能力」、そして「たどり着いた答えが合っているかどうかを判断する能力」。ミトラはこれら三つの能力が必要だといっていました。最初の二つに関しては、そういう実験を繰り返していく中で、例えば、子どもたちが集団でやっていく中で能力が育まれうることが分かった。しかし、答えの成否/善悪を判断する能力を、どういうふうに培うかという部分に関しては、これからも研究されねばならないというふうな言い方でした。ですから、その部分も含めて教育に重要なのはこの三つだけですと言われて「なるほど」と僕は思いました。

福原 私が学生にリサーチのやり方で提言するとしたら、「インターネットを使わないでやってほしい」と言います。インターネットに載っていることは、古いことしか載っていないですよね。それをベースにしてしまうと、既に皆が普及している話しかしない。そのようなものからでは、どうやっても新しいアイデアは出ません。新しいコンビネーションぐらいしかありません。どうやって「これは面白い!」というのを見つけるかです。検索結果を関連度が高い順番から見るのではなく、見るべき情報は、後ろのページにあったりするはずです。どうでもいいと言われているようなデータのほうが、もしかしたら面白かったりするのではないかと思います。その意味では新聞のほうが速い部分もあると気もします。Googleだと、最初から自分が何をしているのかというのをやらなくてはいけないので、セレンディピティ的な出会いが下がります。デジタルネーティブの「Googleに聞けばいい、答えが出てくる」という姿勢は怖いと思います。


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- googleを超えた、出会いの場としての大学

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若林 逆に言うと、新しい問いがGoogleと対面している限りは出てこない、ということですね。

水野 答えを出すGoogleではなく、問いを出すGoogleというようなものが必要ですね。結局、人間はよくできているということですかね。それほどよくできている人間をつくるのが難しくなってきている、というのが今日の状況でしょうか。

福原 私は、イギリスでファウンデーション・コース(注:大学の基礎教養課程に相当する、1年程度の横断的なコース)を大学入学後に体験して良かったと思います。多様なジャンルに取りあえず触れることができた。そこに科学、美術、デザインなど、とにかく入学してから全部やって、専門性を再び選択できればいいのではないかと思います。本当にやりたいことは実は最初から知らないわけですから。もう一回選択させてあげてもいいのではないでしょうか。

脇田 SFCに来ればいいのではないか、ということですね笑。

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若林 それと、社会人がもう少し入ったほうがいいなという気がします。

福原 RCAのインタラクション・デザインコースでは10歳年上のムラットという同期の仲間がいました。彼はマクロメディアという会社でFlashを作った人で、ずっとそこで働いていました。嫌になって辞めたいと思っていたところ、たまたま車でドライブしていたら、RCAのインタビューがラジオで流れて、ここだというような感じで、もうそこで車を止めて電話したらしいのです。「ポートフォリオと呼べるものはないけれど、僕の作品はFlashです」と言ったら、それで一次試験を通過したようです笑。

若林 社会人がもう少し入学すれば中で勝手に変わる気はするのですけれど。世の中の仕組み上の課題はありますが、最近は結構いますよね。会社で取りあえず5年働いてから、1年ぐらい海外へ行っていたとか。キャリア転換のところで学校に戻ろうかという人は増えているし、そういう人たちが増えれば変わっていく気がします。多分それは先生にとってもある種の緊張感にはなると思います。社会人学生は何も知らないわけではない。高校から直接入学してきた学生には、前提となる知識や社会経験もない。それを盾に取って先生というのは威張っていられるわけですよね。先生の権威を落とすというためのものではなくて、もう少し相対化されてもいいのでは?

福原 一緒に考える場が学校です。学校には、名づけえないものについて考えて話し合うというロマンがまだあります。そういう場所だからこそ、先生も学生も同じテーブルで話し合いができると思うのです。

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福原志保
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Shiho Fukuhara
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アーティスト


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若林恵
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Kei Wakabayashi
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 WIRED』日本版編集長


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脇田玲
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Akira Wakita
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 環境情報学部教授(ORF2014実行委員長)


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水野大二郎
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Daijiro Mizuno
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環境情報学部 専任講師(ORF2014実行委員)


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